誰も知らないラグタイムの歴史

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誰も知らないラグタイムの歴史


 

皆さん、こんにちは!松尾 弥生(まつお やよい)です。

 

私は歴史を知ることが好きで、スキマ時間があると色々と調べるのですが

そのたびに「まだまだ知らないことがたくさんあるんだなぁ」と痛感します。

 

本日は【ただの打楽器奏者がひもとく音楽の歴史丸わかりシリーズ】第一弾!として

ラグタイムの歴史を見ていきたいと思います。

(急に出てきたこのシリーズ。果たして3日坊主で有名な松尾は続けることができるのか…?←)

 

Rag TimeのRag自体には「ぼろきれ」「かけら」といった意味がありますが

これが転じて「不揃いな」「でこぼこした」という意味になるそうです。

 

ラグタイムの歴史は非常に短く、1890年代後半~1920年頃のおよそ30年のできごとです。

 

しかし、歴史の移り変わりというのははっきりしたものではなく

「はい!ラグタイムは今日で終わり!明日からはジャズの時代です!」ということはまずありえません。

じわじわと始まり、やがて淘汰されていくものです。まるでグラデーションのように。

 

ラグタイムの源流や、終わりについても書いていきますので、楽しみにしていてください!

 

最初は「ちょっと調べてみよっかな」という軽い気持ちだったのですが

「え!あの世界的ピアノメーカーとラグタイムに、こんな関係があったの!?」とか

「ちょっと待って!スコット・ジョプリンよりも、この人の方が重要人物じゃん!」など

次々と明らかになる事実に、どんどんのめり込んでしまいました。

 

この記事でなるべく全てを網羅しますので、少し長文になります。ご了承くださいm(_ _)m

 

ラグタイムを演奏されている方、ラグタイムを聴くことが好きな方

ラグタイムについてもっと詳しく知りたい方は、ぜひ読み進めてください!

 

それではラグタイムの世界へレッツゴー!!

 

 

 


まずはラグタイムの特徴をサクッとおさえよう


 

 

そもそもラグタイムとはどのような特徴を持った音楽なのでしょうか?

百聞は一聴に如かず!ということで、まずはこちらのYouTube動画をクリックして聴いてみてください。

 

テレビCMやドラマ、映画、そして東京ディズニーシーのどこかで耳にしたことがある方も多いと思います。

ラグタイムの特徴は主に下記の2つです。

 

特徴その①:メロディラインにシンコペーションを多用する

音楽用語にシンコペーションというものがあります。

シンコペーションsyncopation切分法)とは、西洋音楽において、拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすことを言う。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

説明文にすると理解しづらいので、実際に体感してみましょう!

カウントをしながら〇を手で叩いてみてください。

1 ・ 2 ・ /1 ・ 2 ・ /1 ・ 2 ・ /1 ・ 2 ・

〇 ・ 〇 ・ /〇 ・ ・ ・ /〇 ・ 〇 〇 /〇 ・ ・ ・

 

これは手を叩く(演奏する)場所が、俗に強拍と呼ばれる1と2の部分とほぼ同じなので、シンコペーションではありません。

 

では、次のドット譜をカウントしながら手で叩いてみましょう。

1 ・ 2 ・ /1 ・ 2 ・ /1 ・ 2 ・ /1 ・ 2 ・

〇 〇 ・ 〇 /・ 〇 ・ 〇 /・ 〇 ・ 〇 /・ 〇 〇 ・

 

今度は弱拍と呼ばれる・の部分で演奏しています。グッと難しくなりましたね汗

少しずつ慣れてきたら、だんだん早くしてみてください。

 

どうでしょう?軽快な感じ、そしてカウントの推進力が増すのが分かりましたか?

これがシンコペーションの効果です。

 

ラグタイムはピアノで演奏されるジャンルで、メロディを弾く右手に

このシンコペーションがよく登場するのです。

 

特徴その②:伴奏はマーチ(行進曲)

 

マーチ(行進曲)は文字どおり、兵隊さんが行進をするための音楽で

様々な打楽器の歴史や、ラグタイムを含むそのほかの音楽に深く影響しているものの一つです。

 

ズン・チャッ/ズン・チャッ/ズン・チャッ/ズン・チャッ…

ズンで地面を踏みしめ、チャッで片方の足をあげるイメージです。

この単純なリズムが、左手の伴奏パートを支配しています。

 

南北戦争終結後、マーチは実質的なものから、見せものとしての側面を持つようになると

コンサートが様々な場所で催され、人々が耳にする機会も増えていきました。

 

「歩く」という動作は全人類共通の基本的な動作で、私たちに強靭な拍感をもたらします。

メロディが何をやっても、この拍感を感じられれば、音楽がブレません。

結果、メロディにどうしてもシンコペーションを“使いたかった”ラグタイムの作曲者は

土台となる伴奏に、シンプルかつ強固なマーチを選んだのです。

 

想像してみてください。右手のメロディラインも伴奏も、ずっとシンコペーションを演奏していたら…

聴いてる人は音楽自体の拍感がつかめず、不安になってしまいますよね。

おそらく二度と聴いてもらえなくなるでしょう。笑

 

安心して聴いてもらえる、安心して演奏してもらえるのは、誰が聴いても拍が分かりやすいものです。

彼らがマーチを伴奏に選んだのは、必然のことだったのかもしれませんね。

 

「どうしてそんなにシンコペーションを使いたかったの?」

これには理由があります。後ほど述べますね(^^)

待ちきれない方はこちら↓をクリック!

ラグタイムのルーツ

 

 


歴史①ラグタイムのはじまりは敏腕ビジネスマン!?


 

ラグタイムの歴史は1880年代後半のアメリカ合衆国の南部にあるミズーリ州セントルイスから始まります。

ここは、有名なミシシッピ川と支流のミズーリ川が流れる分岐点で交通の要所として栄えました。

川は物資をやりとりする交易の舞台ですので、大きな川と大きな支流の合流点であるこの場所には、

さまざまなバックグラウンドを持った人々が自然と集まりました。

 

この人々の中には、多くのアフリカ系アメリカ人、つまり黒人がいました。

1862年、エイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を南部に対して出してから

少しずつ黒人奴隷が主人のもとを後にします。

 

第二の人生を踏み出すべく、彼らはこの地にやって来たのです。

お互いに持ち寄った音楽を披露し、お互いに影響を受けたこともあったでしょう。

その結果、独自の文化が作られていくことになります。

 

1897年、一人の男がピアノを演奏できる「サロン」を作り、人々の憩いの場として提供し始めました。

このサロンは、セントルイスの音楽活動の中心となります。

サロンを開いた男の名はTom Turpin(トム・ターピン)。アフリカ系アメリカ人です。

 

 

彼はピアノがうまく、曲を作ることもできたため、その年に自身初の作品「Harlem Rag」を発表します。

 

 

この曲は、のちの作曲者の多くに影響を与え、ラグタイムのスタンダードナンバーとなりました。

 

しかし、ターピン自身はビジネスで成功することを望んでおり、自身の作品の販売によって得たお金を資金として

ダンスホールや劇場、さらには売春宿を経営して力をつけ、地方政治にも力を注ぎます。

 

彼はのちに「セントルイスラグタイムの父」と呼ばれるのですが、実は敏腕なビジネスマンだったのですね。

 

 


歴史②あの超有名なピアノメーカーとの相互関係


 

ラグタイムのもつ独特のシンコペーションやマーチの伴奏は、当時のピアノ演奏としては新しいものでした。

しかし1900年に入ってから、ますますアメリカ国民の間で浸透していきます。人々はこの真新しい奏法に燃えたのでしょうか?

優れたピアノ曲があっても、演奏されなければ広まりません。

 

ここで私はある疑問を持ちました。

「ということは、この頃には一般家庭にもたくさんピアノがあったということなの?」

調べてみました。

 

1890年代、あるピアノメーカーが、自宅で演奏できる一般家庭用ピアノを大量に生産し始めます。

そのメーカーとはStainwey & Sons。そう、今なお世界のコンサートピアノ市場シェア80%を超えるあのスタインウェイ社です。

 

 

1873年にニューヨーククイーンズに巨大な工場を立てて、ヨーロッパにも進出。

さらにアントン・ルビンシュタインやイグナツィウス・パデレフスキーといった、著名なピアニストのツアーをマネジメントして

ピアノメーカーとしての名声をぐんぐんと高めていたスタインウェイ社は

当時生活レベルが徐々に底上げされていた一般庶民に、自社のピアノを買ってもらおうと考えます。

 

そこで発売されたのが鋼鉄のフレームを持ったスタインウェイ・スクエアピアノでした。

 

 

このピアノは、すでにその名を轟かせていたスタインウェイの音色が「自分のものになる!」と評判を呼び

どんどん製造されて【一般庶民の家にピアノがある】という構造ができあがっていきます。

 

これが、ラグタイムが流行る土壌となったことは言うまでもありません。

 

ただ、スタインウェイ社側が、ラグタイムの人気にあやかろうとしてスクエアピアノを生産したのか

ラグタイムの作曲者側が、ピアノが一般庶民にも広まってきたタイミングを狙って、真新しい音楽を提供したのか

これはどちらが意識したのかは分かりません。

 

しかし、時を同じくして一般家庭用ピアノの大量生産と、新たな音楽の流行が起きたことは事実です。

単なる偶然なのか、少しは意識し合っていたのか…あなたはどう思いますか?

 

 


歴史③もっとも重要な人物が登場!


 

さて、ラグタイムの流行に大きく貢献した重要な人物を紹介しましょう。

名前をJohn Stark(ジョン・スターク)といいます。彼は白人です。

 

 

彼は南北戦争時代に活躍した退役軍人で、ミズーリ州セダリアでアイスクリームを売って生活していました。

ビジネスチャンスをアイスクリームに見出したのか、ただ単にアイスクリームが好きなおじちゃんだったのか…

 

1899年、ラグタイムの歴史が大きく動きます。

スタークはセダリアにある音楽出版社を訪れ、一人の若者に出会います。

そして、この若者が書いた未発表のラグタイムを聴いて欲しいと頼まれました。

スタークはこの曲をとても気に入り、ラグタイムの更なる可能性を感じて、この曲を出版するために奔走するのです。

 

この若者の名はScott Joplin(スコット・ジョプリン)。のちに「ラグタイム王」と呼ばれる男です。

 

・彼の父親はテキサス州の農場で農夫として働いており、ジョプリンはこの農場で育った

・早くからバンジョーを使いこなして音楽の才能を発揮し、母親からピアノを与えられた

 

そしてこの曲の名前はMaple Leaf Rag(メイプル・リーフ・ラグ)。誰もが一度は耳にしたことのある、あの有名な曲です。

この曲はスタークによって出版されると、1914年までに発売部数が100万部を超える大ヒットを飛ばしました。

 

 

スタークはジョプリンのみならず、他の作曲者の作品も多数、世に送り出しました。

 

Joseph Lamb( Lamb(ジョセフ・ラム):代表作「Champagne Rag」「The Top Liner Rag」

 

・ラグタイムの作曲者には珍しい白人の作曲家。

・ヘビーラグとライトラグという2種類のラグタイムを作曲した

 ヘビーラグ → 使用する音域が広範囲にわたり、技術的にも難しい。速度は比較的遅い。

 ライトラグ → ケークウォーク と呼ばれるダンスミュージックを元にしている。シンプルなつくり。

ケークウォークとは、かつて農業に従事していた黒人奴隷が、ヨーロッパの人々の社交ダンスを真似して踊っていたものを元とし、パロディ化したもので

顔を黒く塗った白人によって演じられたアメリカのエンターテインメント「ミンストレル・ショー」で踊られていました。

 

James Scott(ジェームス・スコット):代表作「Frog Legs Rag」「Grace & Beauty」

 

・ミズーリ州出身

・ジョプリンが彼を気に入り、スタークに紹介した

 

ちなみにジョプリン、ラム、スコットの3人は【三大ラグタイム作曲家】と言われています。

 

ラグタイムの作曲家といえばスコット・ジョプリンの名をあげる方も多いですが

ジョプリンよりも本当に覚えて欲しいのはジョン・スターク!!!

 

偉大な作曲家が作った曲をどんどん出版してくれるスタークがいたからこそ

ラグタイムは全米に広まり、のちの音楽に大きな影響を与えたのです。

 

ただのアイスクリームを売っていたおっちゃん、頑張ったのです!褒めよ称えよジョン・スターク!!←

 

 


ラグタイムのルーツ


 

それでは、ラグタイムの大きな源流となったものを見ていきましょう。

 

アメリカの南側は農業が盛んな地域で、白人の主人の元で、多くの黒人が奴隷として労働していました。

例:ケンタッキー州、テネシー州、ヴァージニア州、ウェストヴァージニア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州など

 

はじめの方こそ、白人側は奴隷である黒人に音楽を演奏することを禁じましたが

その制限は長い時間と共に少しずつ緩和されていきました。

奴隷貿易が始まったころの白人は、アフリカの人々にとって音楽(リズム)が想像以上に生活と密接に関わっていること

それが彼らにとって切っても切り離せない関係であることを知らなかったのです。

 

主人は大体家の中にいるため、彼らはもっぱら外で活動せざるを得ず、

下記のように持ち運びが楽な楽器を好んで、独学で演奏するようになります。

 

・バンジョー

 1899年、アメリカの小説家であるRupert Hughes(ルパート・ヒューズ)は、はじめてピアノで弾かれたラグタイムを聴いて

 「それはまるでバンジョーの演奏のようだ。」と表現しています。

・フィドル(ヴァイオリン)

 イングランドやスコットランドなど、イギリスからやってきた移民によってもたらされました。

・ハーモニカ

・ギター

・マンドリン など

 

このパートに関連するおもしろい記事をあげているので、ぜひこちらも一緒に読んでみてください!

 

このことによって、特にバンジョーとフィドルの奏法が飛躍的に革新し、セカンダリー・ラグタイムと呼ばれるリズムが生み出されます。

ドット譜にするとこんな感じ…

1 2 3 4 /1 2 3 4 /1 2 3 4 /1 2 3 4

① ・ ・ ② /・ ・ ③ ・ /・ ④ ・ ・ /⑤ ・ ・ ・

 

下のタイムで手を叩いてみると、上の拍子と一時的に拍感がずれ、2つの拍子が同時進行しているような瞬間があります。

この特徴は、アフリカの人々の音楽によく見られる特徴のうちの一つなのですが

この拍子から一時的に外れるようなリズムが、ラグタイムのメロディラインに多用されるシンコペーションのルーツとなりました。

 

長いこと音楽を禁じられてきた黒人奴隷ですが、白人は彼らから音楽やリズムを奪うことはできなかったのです。

これが、ラグタイムが「不揃いなタイム」「でこぼこしたタイム」と呼ばれるワケです。

 

 

さて、私は先ほどピアノで弾かれたラグタイムと表現しました。

これはどういうことかというと、ラグタイムというのはジャンルというより、スタイルだということです。

 

黒人奴隷は、彼らのルーツであるアフリカの音楽やリズムを、バンジョーやフィドル、ギターなどで表現してきました。

それが、家の中でしか弾くことのできないピアノに置き換わっただけなのです。

 

楽器が変わっても、スタイル(シンコペーションやマーチ伴奏)は変わらないので

黒人の演奏家にしてみれば、同じことをしていただけです。

 

それが、この音楽に可能性を感じて出版を決意したスタークの存在と、ピアノの一般大衆化によって

名前を付ける必要性が生じてラグタイムと名がつけられた。ということお話なのです。

 

ラグタイムはその後、1917年頃から演奏される機会が減少していきます。

しかし、これは人気がなくなったわけではなく、このスタイルが今度はジャズバンドに置き換わっていっただけなのです。

 

 

誰も知らないラグタイムの歴史まとめ


 

今回は、ラグタイムの歴史をバーッと見てみました。歴史っておもしろいでしょ?

 

人物について、はたまた楽器についての詳しい解説などはできるだけ排除し、全体を分かりやすく捉えることに集中したので

気になる項目があった方はぜひ、ご自身でも調べてみてくださいね!

 

ラグタイムの歴史 まとめ

・ミズーリ州セントルイスのサロンからはじまった

・流行の土壌は、スタインウェイ社が家庭用スクエアピアノを大量に製造したことにあった

・ジョン・スタークよ永遠なれ!

・シンコペーションのルーツは、アメリカ南部の黒人奴隷の演奏にあった

 

私がラグタイムを一言で表すとしたら、こう答えます。

「ラグタイムとは、西洋文化を代表する楽器を、黒人が弾いたらどうなるかを表したものである」

 

【ただの打楽器奏者がひもとく音楽の歴史丸わかりシリーズ】いかがでしたでしょうか?

第二弾をお楽しみに!

 

最後まで長い記事をお読みくださり、ありがとうございます!

 

~関連動画~

TDRで体感するラグタイムの歴史

 

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